平成では様々な出来事がありました。
その中の一つに日本人初の宇宙飛行があります。
今回は日本人初の宇宙飛行士、秋山豊寛さんのお話をさせていただきます。
現在、宇宙飛行士として宇宙へ行った人は全世界で562人(2019年4月18日現在)に及びます。
宇宙へ行った人の数字だと日本は、全世界第3位です。
そもそも宇宙飛行士にはどうやってなるのか?
平成20年度に行われた「国際宇宙ステーション搭乗宇宙飛行士募集」では以下の資質が募集要項にあげられていました。
・自然科学系の研究・開発の仕事に携わった経験が3年以上あること
・長期間の宇宙滞在に身体的・精神的に適応できること
・英語で充分コミュニケーションがはかれること(英検1級程度の英話力)
などの資質が要求されました。
他にも、他分野への適応性や長期滞在への適応能力、チームワークなどなど様々な能力が要求されるようです。やはり簡単になれるものではないのですね。
そんな難関の宇宙飛行士に秋山豊寛さんはどうやってなったのか、そしてどのような経歴の方なのかをご紹介させていただきます。
当時、秋山豊寛さんはTBS(株式会社東京放送ホールディング)の社員でした。
いうなれば民間人の秋山さんが、なぜ宇宙へ行くことになったのか?
TBSの創立40周年事業で宇宙ジャーナリストを送るプロジェクト「宇宙特派員計画」を同社がソ連(現ロシア)と契約を取り交わし行われることになりました。
報道畑にいた秋山さんは社内公募に応募したそうです。
宇宙から生中継をする機会はめったにないというのが動機だったようです。
その後、選考が行われましたが秋山さんは落ちました・・・。
しかしこの選考に最後まで残った7名が不適格だったので、選考はやり直しになったようです。
最終的に秋山さんが選ばれた理由は、虫歯が無かったことと視力が2.0と良かったのと、このプロジェクトの通訳グループの中心にいた後に作家となる米原万里さんの推薦があったからだそうです。
その後の訓練では3ヶ月間ロシア語の特訓、トレーナーとのトレーニングを行ったとのこと(この時75kgあった体重も60kgになっていたようです)
秋山さんはインタビューで当時の授業やトレーニングを「言われたことをやるだけだから楽だった」と答えていました。
そして1990年12月2日、秋山さんはソユーズに乗り込み宇宙へと飛び立ちました。
秋山さんの宇宙からの第一声は「これ、本番ですか?」だったそうです。
元々本人が考えていた第一声は『宇宙から見た地球は混沌としています』だったそうですが、実際に宇宙から見た地球も宇宙も混沌とはしておらず、すっきりしていたと語っています。
令和になり今では一般人でも宇宙旅行に行けるような時代になり、宇宙を近くに感じられるようになりました。
それも、秋山さんや様々な方が宇宙へ向けた情熱とチャレンジのおかげなのだと感じました。
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