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朝はご飯派ですか?パン派ですか?近年は米粉で出来たパンも多く見かけるようになりましたね!
来たる4月12日は「パンの記念日」だそうです。そこでパンのルーツを探ってみました。

さかのぼる事、約400年前1840年(天保11)は江戸時代後期。中国ではアヘン戦争が起きていました。日本の徳川幕府ではアヘン戦争の影響でイギリスが攻めてくるのを恐れ、兵糖(ひょうろう)としてパンを作り備えることにしました。

そこでパン作りで活躍したのが伊豆韮山(にらやま)(静岡県伊豆の国市韮山町)の代官である、江川英龍(ひでたつ)(通称:江川太郎左衛門)でした。江川英龍は韮山に製パン所を作りパンを作りました。初めて作ったパンはそこそこ評判で、そこで大量のパンが作られるようになり「兵糖パン」と名付けられました。
兵糖パンは、米飯に比べて炊くときの煙が少なく、固いパンは保存性、携帯性に優れていると考えられていました。

そして1982年「パン食普及協議会」によって、“初めて日本人による日本人のためのパンが作られた日”として1842年(天保13)4月12日が「パンの記念日」として定められました!
ちなみに毎月12日は「パンの日」となっていて、パンに関するキャンペーンやイベントなどが開催されているそうです。

そんな江川英龍が作った製パン所こと「韮山反射炉」は現在も残っており、2015年7月に世界文化遺産に登録されています。
敷地内には韮山反射炉の情報拠点となる「韮山反射炉ガイドラインセンター」があります。
メインの映像ホールでは高さ約5m、幅約10mのスクリーンがあり、操業当時を再現したCG映像で反射炉が稼働する様子や当時の時代背景などを紹介しています。
他にも「明治日本の産業革命遺産」に含まれる構成資産を紹介するコーナーもあります。何より127段のレンガに覆われた煙突は迫力満点です。
この韮山反射炉は「明治日本の産業革命遺産、製鉄、製銅、造船、石炭産業」の構成資産23ヶ所のうちの一つだそうです。
ちなみに反射炉は山口県荻市にも残っていますが、当時実際に稼働しているのは韮山反射炉だけで、炉体と煙突が当時の姿のままほぼ完全に残っているのも韮山反射炉だけだそうです。

また、韮山反射炉の近くには江川英龍とそのご家族が住んでいた家、「江川邸」もあり、約400年前に建築され今も存在しています。
江川邸ではテレビドラマのロケ地として「篤姫」や「JIN-仁-」などの多くの時代劇の撮影に使われるそうです。
パンの記念日には普段ごはん派の方も朝ごはんに美味しいパンを食べてみるのもいいかもしれませんね!

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